名古屋市の機関誌「名古屋発No.69」で取り上げていただきました。(2005.4)

[左ページ拡大]
[右ページ拡大]



【徳川家康のお香】

【練り香作りに挑戦】
南山大学人文学部

【家康は大のお香好き】


●慶長年間に安南(現ベトナム)へ良質の香木を何度も注文しています。

●久能山東照宮には家康から奉納されたすばらしい香木が現存してます。

●晩年、長寿を願い、いろいろな香料や薬種に興味を示しました。

●千年菊方の調合の覚えも家康の長寿を願う気持ちからと思われます。




千年菊方 せんねんきくほう
徳川家康のメモ「香の覚え」を
忠実に再現した家康の香。



 練香は平安時代の六種(むくさ)の薫物(たきもの)と云われる「梅花」、「荷葉」、「菊花」、「落葉」、「黒方」、「侍従」がよく知られています。その中でも「菊花」は寿福長命の薫物とされてきました。室町時代の東山御殿を舞台とした「五月雨日記」には「菊の白露」、「仙人(やまびと)」という香銘の薫物合わせが記されています。
 この香銘は
「やま人の 折る袖にほふ きくの露
  うちはらふにも 千代はへぬべし
                   俊 成  」
の和歌より命銘されています。「菊花の方(調合方法)」は、このように伝承されていました。
徳川家康自筆の「香の覚」にも、この「菊方」の調合が記されています。
「家康御香 千年菊方」は家康の調合方法を忠実に再現したもので、天然香料のみを使用し、平安時代以来の伝統ある名香の雰囲気を伝える練香として作成しました。
尚、本品作成におきましては、徳川美術館前副館長の大河内定夫先生に多大のご協力を賜りました。


尾張徳川家ゆかりの葵窯製作
  御深井焼菊香合付
  価格5,000円(税別)
注:葵窯加藤春二氏他界のため
    現在香合はございません。
    練り香2パック入り4,000円(税別)
(岡崎市蔵)
「徳川家康御香千年菊方の再現」
                                    春香堂  小川 薫



 それは平成二年の秋、名古屋の徳川美術館前副館長の大河内先生にお声掛けいただいて始まりました。「家康の好みの練り香の調合を書いた直筆の覚えがあり、その香りを再現してくれませんか、正月の「香りの道具展」という催しに間に合わせたいのです。」ということでした。

 そこでまずは、その家康の覚え書きを見ない訳にはいきません。幸い、現物は見られないものの、以前に水戸の徳川博物館の冊子に写真掲載されていたことを聞き、そのコピーをいただきました。
 ところが、ほとんど読めません。「沈」、「丁」、「甲」、「白」、「甘松」はなんとか解読しましたが、「らん」など他の数種類はさっぱり判りません、依頼の大河内先生にお願いしても文字の判読が、それでも何のことかさっぱり見当がつかない専門的な香料の呼び名がありました。


 そんなこんなで解読すらできず、日月ばかりが過ぎ、その年の暮れには、材料集めもままならない状況で年が明けてしまいました。いよいよ美術館の催しも始まってしまいました。 当然、先生からは諦めのお言葉もあり、自分の学の無さにもまして、専門であるべき香料の知識の無さにも耐えきれない思いでいました。何でもいいからとにかくやってみようと思い立ったのは、平成三年の三月のことでした。

 とにかく調合の分量は江戸時代の位取りだから一朱を一cと仮定し、一分は六朱だから六c、一両は四分だから二四cと換算して計算しました。
「沈 三両」は沈香を七二c、「丁 一両二朱」は丁字を二六c、「甲 二分二朱」は貝甲(貝香)を一四c、「白 三朱」は白檀を三c・・・
あとは同様にし、解読できないところは後回しにして、取りあえず練り香の作り方で始めました。

 練り香の作り方というのはそれぞれの薫香を扱う諸家でいろいろあるようですが、私どもでは、沈香、貝甲などの天然香料を使ってまずは下生地を練り合わせます。それを暫くの期間密封して保存します。この下生地はその出来上がった練り香の香りを持続させる基礎的な香料になります。調合の分量割合は、その保存した下生地を十とします。白檀、丁字のような中間材を五。そして、焚くときにはじめに発してくる香りの変調材を二から三ぐらい調合していきます。 大かたこのようにして練り合わせていくのです。下生地はお湯で練ります。中間材のところで蜂蜜とその蜂蜜を固まらせないための白梅酢を合わせます。そして甘松、肉桂などの変調材を練り込み、最後に酒で溶いた麝香、龍脳のような変調材を練り合わせていきます。

 このようにして「千年菊方」を訳が分からないまま練りはじめたのです。当然、手は乳鉢の棒を持って力を入れていますものの、目と頭はどうしても、傍らに置いた例の調合のコピーへいってしまいます。この半年何度も何度も見てきたコピーの文字が、そうしますと不思議なもので、なんとなく読めてきたりするのです。「らん」は「くん」と読め、「樹良合」は三文字でなく「鬱金」の二文字だったり。となると「くん」は「薫陸」という乳香の化石化したもののこと、今は乳香を使います。「鬱金」は香料として今はあまり用いられていませんが、どちらかといえば天然染料として知られているものです。当然、材料を早速探し出してみました。薫陸も乳香ではなく古来より云われている本物の琥珀の粗悪品を取り寄せ、潰してみました。こうしてある程度の材料は、整っていき判った部分で仕上げてみました。

 出来上がりを暫く寝かせたある日大河内先生に試してもらう日が来ました。開封は二ヶ月後でした。その日は梅雨も近い雨の日でした。湿気の多い雨の日は香りがよく判ります、鼻の粘膜の加減と聞きます。

 「うっ何だこりゃ」とてもいい香りとは言えない丁字の強い辛味と、若干の甘さが不協和音のようで、とても天下の家康の香りとは思えないものでした。・・・失敗です。何かヘン、何か足りない、このような調合は後からちょっと何か加えたところでいい香りにならないことはよく解っています。香りというのは不思議なもので、いい香りのものといい香りのものをたしても、けっしていい香りにならないのです。要するに1たす1が絶対2にならないということです。もう一度やり直しでした。
 それから、強く香りを発していた丁字の量を少しずつ減らしたり、わざと天日で干してみたりして、暇をみては何度も挑戦してみましたが、丁字の辛さは少しづつ減ったものの不協和音は、相変わらずでした。

 ただ一つコピーの文字で「さとう」とあるのが最後まで判りませんでした。平安時代から甘さを出すために蜂蜜を用い、蜂蜜が無いときは甘蔦を用いたとあります。甘蔦は、今では聞き慣れないものですが、昔はこの甘蔦を煎じて甘味料を採っていたそうです。今は夏のかき氷の名前で「センジ」と言えば何となく「あぁ」と頷けるアレです。この「さとう」という文字が砂糖で無く「さかう」というかな文字で「じゃこう」と読むことと知らされたのは、それからまた半年たった平成四年の夏のことでした。当然、天然麝香がまったりして、丁子のピリリと辛味のきいた正に天下人家康の香り「千年菊方」が出来上がったことは言うまでもありません。二年と半年の悪戦苦闘も天下人徳川家康の香りに少しでも近づけたのなら、すばらしい経験だったのではないかと思っています。

 その年の秋「徳川美術館」では、「家康の遺産展」が催され、「香の覚え」の直筆が展示されました。コピーでなく、本物を観る喜びが、他の誰よりも勝っていたことはお判りいだけましょう。


徳川博物館蔵